tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

プラザ合意30年

2015年09月23日 09時52分21秒 | 政治
プラザ合意30年
 昨日は「プラザ合意」30周年の記念日だったようです。
 ニュースではほんのちょっと報道されただけでしたが、本当は日本経済にとっての戦後最も重要な、経済政策失敗の記念日だったと考えています。

 このブログでは繰り返し書いてきましたが、「ジャパンアズナンバーワン」といわれ、日本経済の安定性、日本的経営の強さを世界から羨望の目で見られていた日本が、つい先ごろ、黒田日銀総裁がアメリカ流の異次元金融緩和で円安を実現するまで、「失われた20年」などと言われた超長期のデフレ不況を経験させられるキッカケになった、まさに記憶に残すべき日なのです。

 プラザ合意までは日本経済は$1=¥240がらみの為替レートでしたが、日本経済の好調を妬むアメリカなどから当時のG5で円高を容認するように強いられ、「ハイハイ」といった結果、2年後には$1=¥120という事態になりました。
 その結果日本の賃金や物価は2年後にはドル建てで2倍になり、日本は世界で一番物価もコストも高い国になりました。

 その後アメリカの経済政策失敗によるリーマンショックもあり、日本国民は長い苦労を強いられたのですが、その理論と実態は「為替レートとゴルフのハンディ」 でお解り頂ける説明をしてきたつもりです。

 アメリカに遠慮してか、為替レート問題についてはあまり言及しない日本の政府、アカデミアやマスコミですが、為替レートとというのは企業が仕事をする際の価値基準ですから、いわばメートル原器のようなもので、メートル原器が伸びたり縮んだりしては、構造物の設計などできないのとおなじように、為替レートが誰かの思惑で変動するような中では、キチンとした経営計画などは立ちません。

 こうしたことが始まって、それを世界標準にしたのはアメリカで、理由は、万年「経常収支赤字国」に転落したからです(黒字の時は、ブレトンウッズ体制を敷き、固定相場制を世界標準にしていました)。

 今思い返してみれば、為替レートを2倍に切り上げられて、黙ってその克服に努力してきたのは、まさに日本人の勤勉性の成果で、他の国ではほとんど不可能と思われるようなことを、日本人はやってきたようです。

 現状の$1=¥120がらみでは、円は正常な評価と言えます。ですから、これからも日本人は、その勤勉性をしっかりと維持し、頑張っていけば、経済・社会の安定成長は間違いないと思っています。

 


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